「対話の反射神経」というのは、私が勝手に名付けたものです。
簡単に言えば「コミュニケーション力」のようなものです。
古い言い方をすれば、
「つうと言えばかあ(つうかあ、ツーカー)」とか、
「打てば響く」
というような意味です。
漫才のボケとツッコミのテンポが理想的ですね。
ところが、統合失調症の経過でいうところの、「消耗期」の時は、人と会話するのも億劫になり、次第に「対話の反射神経」が劣っていく経験をしました。
何かを尋ねられた時に、とっさに適切な表現ができないのです。
後から考えると、なぜあんな言い方してしまったのだろう、とか
こういう言い方のほうがよかった、とか、後悔するばかりか、
人間関係にもヒビが入りかねません。
相手は、まさか心の病が原因で会話が上手くできない、
なんて考えも及ばないですからね。
実際に体験した具体例をお話しましょうか。
以前、このブログでもお伝えした(「039 新たな配属先」)ように、
上司から電話で
「つらいのをよく頑張ったな」
と言われたことをご紹介しましたが、この時理解してもらえた喜びのあまりに心が揺さぶられたため、とっさに
「ありがとうございます」と言えずに
「失礼します」と言ってしまったのです。あぁ、なんということだ。
拒絶として伝わったのではないか、後悔しても後の祭り。
鬱で辛いだけでなく、いっそう落ち込んでしまいました。
また別の具体例は、
近隣の歯科医に通っていた時のこと。
予約時刻前に行ったのですが、だいぶ待たされてしまいました。
早期リタイアした身ですから、急ぐ用事もなく気にしていませんでした。
そうして私の名前が呼ばれた時に、受付の看護師が気を遣ってくれて
「大変お待たせして済みません。」と声をかけて下さったのですが、
あまりにぼーっとしていた私は、無言でスルーしてしまったのです。
この様子を見た看護師さんは、私が怒り心頭だと思ってしまったのです。
その後の、気まずいったらなかったです。周りはピリピリしていました。
しばらく(半年後くらい)して、その歯医者にまた通い始めたところ、その看護師さんはもういませんでした。お辞めになっていたようです。
辞めた理由は前述の一件と関係があるかはわかりませんが、私は今でも猛省しています。
いまこれを読まれているあなたが、
もしも重い鬱状態であるなら、
あるいは長い間引きこもっているなら、
私の経験を心の隅にでも留めておいて頂けると幸いです。
人と、社会と、ほとんど接することなく「対話の反射神経」が鈍って、
私と同じような苦い経験をして頂きたくないのです。
身近な人から接するように、そして少しずつでも社会と関わるように
していこうではありませんか。無理ない程度に。
自分は平気だとか、そうなるはずがない、という人はご心配いりません。
きっと、そこまで重症ではないからです。
以下ボタンをクリック(タップ)頂けると励みになります。
統合失調症 ブログランキングへ
にほんブログ村