他人(ひと)から見たら、

私のことをどう思うでしょう。


五体満足なのに仕事もしないで……


そう見られても仕方ありません。

ギプスをしている訳でも、

松葉杖を使っている訳でも

ないのですから。


この手の病気(統合失調症に限らず

精神疾患全般)に言えることですが、

一見して判別できないのが厄介です。



外傷なら、かさぶたが自然に剥がれた

ことで、治癒したと判断できます。


骨折なら、骨が繋がったことで、

治癒したと見られます。




幻聴や関係妄想がなくなったから

といって、傍からは前後の違いは

判りにくいでしょう。


うつの人を見て、

周囲の人の目には怠け者と

映るかもしれません。

あるいは気力が弱いと。



統合失調症は、

脳内伝達物質の不具合によるもの

なので、外見から判らないばかりか

本人にすら脳内のことは判りません。



例えば、

今落ち込んでいる原因は、

曇天でセロトニンの分泌が少ない

からだろう、と知識と経験を頼りに

漠然と思うのが精一杯です。

(「154 病のしくみと食事」)



逆に言えば、

普通の職場にいる、

ちょっと困った人の中にも

精神科医の診断が必要な人が

いることでしょう。


しかも、立派な病名がつくかも

知れません。


むしろ、病気でないから

帰っていいですよ、

と追い返される人の方が少ない

のではないでしょうか?


自然に反した生き方を

強いられる現代社会では、

どこかしら異常を来すのは

不可避かもしれません。




ノルウェイの森 』(上)に

次のような記述があります。


P.181-182

……変な話だけれど、ゲームをしながらまわりを見ていると誰も彼も同じくらい歪んでいるように見えちゃうのです。

 ある日私の担当医にそのことを言うと、君の感じていることはある意味では正しいのだと言われました。彼は私たちがここにいるのはその歪みを矯正するためではなく、その歪みに馴れるためなのだといいます。私たちの問題点のひとつはその歪みを認めて受けいれることができないというところにあるのだ、と。人間一人ひとりが歩き方にくせがあるように、感じ方や物の見方にもくせはあるし、それはなおそうと思っても急になおせるものではないし、無理になおそうとすると他のところがおかしくなってしまうことになるんだそうです。(中略)ここにいる限り私たちは他人を苦しめなくてすむし、他人から苦しめられなくてすみます。何故なら私たちはみんな自分たちが『歪んでいる』ことを知っているからです。そこが外部世界とはまったく違っているところです。外の世界では多くの人は自分の歪みを意識せずに暮しています。でも私たちのこの小さな世界では歪みこそが前提条件なのです。……



また『同上』(下)では、


P.6-7

「患者とスタッフを全部入れかえてもいいくらいですね」と僕は感心して言った。

「まったくそのとおり」とレイコさんはフォークをひらひらと振りながら言った。「あなたもだんだん世の中のしくみがわかってきたみたいじゃない」

「みたいですね」と僕は言った。

「私たちがまともな点は」とレイコさんは言った。「自分たちがまともじゃないってわかっていることよね」




ポチって頂けると励みになります。

    にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ