幻聴

2016/09/29


統合失調症を発症してかれこれ

20年以上になります。

 

そして、統失に関するブログを始めて

約2年になります。

 

ブログを始めて、つまりアウトプット

してから気づいたことは、

 

年々自分が空っぽになっていくこと

 

です。

 

 

身も蓋もないですが、アウトプット

するものがなくなってくるのです。

 

 

このままいくと、次第に認知症になり

やがては廃人になるのではないか

という不安でいっぱいになります。

 

 

 

比べるのは、僭越ですが、

「こち亀」は連載40年続け、ギネス

にも登録されたとのこと。

 

質を保ちながら、量をこなすのが

いかに大変なことか、アウトプットを

続けるものにしか、分からないと

思います。

 

 

もう一方では、あの手塚治虫先生は、

あれだけ名作を量産しながら、

晩年でもアイデアが次から次に出て

書くのが追いつかない、と仰って

いました。インプットの方は、

いつしているのかと驚くばかりです。

 

 

 

片や私の方は、度々投稿をお休みして

いわば開店休業状態です。

 

そんな私は、10年前に統失の治療とは

別にカウンセリングを受けてました。

 

当時、幻聴と関係妄想が酷かった頃で

次から次に、疑問や発想が溢れ出て

いました。

 

カウンセリングの事前に相談内容と

してまとめたメモが残っています。

 

・政治、経済、環境異変、芸術、学問

、エンターテイメント(芸能)の裏表

、制度、法律、国家、国際関係、貧富

の格差、人種差別……などの因果関係

 

・宇宙の始まりと終わり

 

・宗教、神とヒトの関係

 

・メディア(媒体)と情報伝達の関連

 

・IT技術の役割(社会的責任)

 

・輪廻転生、今生と来世、歴史は繰り

返すのか?

 

などなど、合計40項目近くを10分で

まとめました。

関係妄想のために全て自分に関わる

ものとして考えていました。

 

 

カウンセリングの時間内で全て話し

合える訳は当然なく、2~3つについて

を取り上げました。

 

カンセラーにどれだけ考えが伝わった

かは疑問ですが、帰り際に意味深な

言葉を残して去って行きました。

 

「一家心中など絶対に考えないで

下さい。そしてこのことは誰にも言わ

ないで下さいね。私も誰にも言いませ

んので。」と言って手を差し出し握手

を求めてきました。

 

なぜ「一家心中」という言葉を

使ったのかわかりませんでしたが、

当時の私は、相当混乱していたのだと

思います。






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2015/08/12


みなさまこんにちは。


さて、幻聴を経験した人には、ざっくり2通りあると思います。


それははたから見て、それと分かるか否かです。


つまり、幻聴が聞こえてそれに反応する人と、しない人です。

反応するというのは、幻聴に対して声を発して応えてしまうことです。




普通の健常者は、統合失調症についての理解がそれほどあるとは

思えません。

したがって健常者が、幻聴に応えている人を見たら、おかしな人と

白い目で見ることでしょう。


でも私の様に統合失調症で幻聴を経験した人間ならば、

幻聴が聞こえているのだろうと察しはつきます。



(幸いと言って良いか分かりませんが、私自身は幻聴に応えたことは

ほとんどありませんでした。

なぜなら、幻聴の主たちは私の心が読めるようでしたので、

声を発することなく心の中で考えれば伝わっていたのです。)



ひょっとしたら、幻聴以外で、霊能者なのかもしれませんが、

おかしな人と映るのは、当然と言えば当然ですよね。

見えない相手に対して、受け答えをしている訳ですから。


ふつう恐くないはずがないのです。



でも、その状況とよく似た現象がむかし一般的にありました。


お若い方はご存じないでしょう。

私がいう「むかし」とは、ケータイが出回り始めた頃です。


静かな電車内などで、急に大声で喋り始める人がいて、

みな一斉に振り返るわけです。

すると、手にはケータイを持っていて、通話をしていたのです。


それが分かると、みなまた元に戻るというわけです。


そういう現象がしばらく続いて、ようやくアナウンスで、

「ご使用を控え、マナーモードにするか、電源をお切り下さい」

と流れるのが定着したのです。


街でも「むかし」は同様の現象は見られましたが、

今ではとくに珍しい場面ではありません。




ですから、幻聴が激しく相手に応えずにはいられない統合失調症の

人がいらっしゃったら、手でスマホを耳に充てがって対話すれば、

白い目で見られることはないかもしれません。



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2014/12/03


しばらく過去にさかのぼります。


たしか初めての入院が決まって、自宅待機している時だったかと。


初めての入院は、

034 閉鎖病棟へまっしぐら(前編)」と

035 閉鎖病棟へまっしぐら(後編)」で

お伝えした、例の事件がきっかけとなり決定しました。



さて話は、会社の上司に用事があり電話したときのことです。



ところで、あなたは普段、電話がかかってきたときに、

どのように出ますか?

『はい、○○です。』のように名乗りますか?

私は、『はい、もしもし。』のように、

姓は名乗らないようになりました。


というのは、怪しげな勧誘の電話や、間違い電話の場合、

相手にこちらの姓を知られてしまうからです。


そう言えば、父も生前そうしていたなぁ、と思い当たります。

きっと同じような理由からだと思っています。



話を戻します。


上司宅に電話したとき、

『もしもーし』と少々ぶっきらぼうだけれど懐かしい、

亡くなった父の声。


まだ葬儀から、数か月しか経っていなかったため、

一瞬、混乱して、思わず

『父さん!? (生きてたの?)』と

尋ねようとしてしまいました。


1秒後、(落ち着け!)と心の声。我に返り、

『□□さんのお宅ですか?』と声を震わせながら聞くと、

上司のお宅ではありませんでした。



確かに間違えずにかけたはずなのに……。

しかも、父そっくりの声色と、言い方。


これは何者かにハメられているな、と感じてしまいました。


もう一度同じ電話番号にかけ直すと、上司宅にかかりました。


いまもなお、不思議なできごとのように感じています。




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2014/11/03


電車に乗っている時や、街を歩いている時などに、大きな声で

独り言を言っている人を見かけることがあります。

明らかに独り言というより、目に見えない相手と話している

様子です。中には怒鳴り声を上げる人もいます。

おそらく幻聴が聞こえる統合失調症の人だと思います。


こういう時に、周囲の人は当然ながら無関心でいます。

私もそれを見て、ああ重症の人だなとは思いますが、自分自身

とは違うなと見て見ぬ振りをしてしまいます。

皆、何か腫れ物に触るような空気です。



1~2年前だったでしょうか、こんなことがありました。


家族3人で出掛けるため、最寄りの駅に向かう途中、6車線ほどの

大通りの向こう側から、パンツと靴下しか履いていない白人男性が、

何やら叫びながらこちら側に走ってきます。

白昼なので当然、車は走っています。

どう見ても異常事態です。


子供は、訳も分からず、どうしたの? あの人、などと言います。

とっさに私は、あっち見ないで。さぁ行こう。と言いました。

たぶん幻覚を見てるんだよ、統合失調症じゃないかな、とも。


明らかに異常事態の人を助けることを選ばず、面倒に関わらずに

歩き続けることを選んでしまいました。


あまりに唐突なことだったため、どうして良いか分からなかった

こともあります。

後から考えれば、何かしらできることはあったのでしょうが……。


あなたなら何かしてあげることができたでしょうか?



こういう人たち(おそらく統合失調症患者)を見ると、自分は違う

と思ってしまいます。同じ病気を患っていながら偏見を抱いている

のです。

会社に通っていた頃は、私自身も偏見の目で見られていたかも知れ

ません。




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2014/10/17


涙もろくなるのは齢のせいだ、とよく耳にしますよね。


自分にも思い当たります。

映画を見たり音楽を聴いたりした時に、鼻の奥がツーンとして不覚にも涙したりすることがよくありました。

人に見られないようにするのに必死だったりします。


ところが、次第にそういうこともなくなってきました。

感動することに鈍感になってきたようなのです。

これは非常に悲しいことです。


人生は、より多くを経験し、より多くに感動し、人間性を高めるためにあるという意味では、すでに脱落しているかのようです。


感動しにくくなることは、統合失調症の人には多かれ少なかれ起こることだと思っています。


私の場合、幻聴と妄想に振り回された頃に、そういう感情が減っていったのだと思います。

と言うのも、喜怒哀楽が生じた際にも幻聴が聞こえてきて、私の実況中継をしながら私を嘲笑しているのですから。

実況中継と言っても、一挙手一投足以上に心の中の変化にまで踏み込んでくるのです。

「おっ、悲しんでる、今に泣くぞ、見ててごらん」

「おい、聞こえるぞ、ほら泣き止んじゃったじゃないか」

「あーあ、あれ今度は怒ってるみたいだ」

「やっぱり聞こえてるんだよ」……


ここまで踏み込んでこられると、なんだかバカバカしくなってきます。

こうして次第に感情を抑えるのが習慣になったのです。

そして無表情でいることも習慣になりました。


今ではそれが身に付いてしまい、もはや涙を流すことはなくなりました。

あくび以外では……。

あ~なんと悲しいことか(涙)←流してるじゃん!?




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