病識

2014/09/15


旧友の紹介で、築地の神経科に移りました。千葉に引越しして、通院が大変だったこともあります。


以前通っていた副都心にあるクリニックにくる患者さんたちに比べると、築地の方の患者さんたちは皆症状が軽いように思えました。


どこでも同じようなものだと思いますが、初回は時間をかけたとしても、次回からの診察は5分程度です。しかもここでは、初回の面談で詳しく話を聴いて下さったのは、医者ではなく看護師と思われる人でした。その看護師のメモを見て、先生に処方箋を書いて頂いたのです。


処方は最初のうちは多少変わりこそすれ、ほとんどずっと変わりませんでした。抗精神病薬のリスパダールとインプロメンに副作用止めのアキネトンの3種類です。


それで効果があったかというと、否と言うほかありません。一日中ぼーっとして、覇気がなくなりました。億劫感は相変わらずありましたし、無気力、無関心、無表情、そして決断力と判断力の欠如。


素人考えですが、リスパダールなどは急性期には効果的かも知れませんが、消耗期と思える私には不適切だったのではないでしょうか? でも当時は統合失調症に対する知識もそれほどなく、判断力も欠如していたため、医者から出される処方のまま素直に従っていたのでした。


それでも仕事はしなければならず、能率はあがるはずもありません。


次第にそれが常態化し、病気を治そうという気持ちも薄れていきました。本来なら、そういう状態を先生にお話しし、処方を変えて頂くのが良かったのだといまさらながら痛感します。


先生の方でも、私の話に対して真摯に向き合っていないようでした。というのも、あろうことか診察中にたびたび居眠りを始めてしまうのです。カルテに書き込んでいた字も、だんだんミミズが這ったような線になっていました。


その後も判断力・決断力の欠如から、医者を変えることなく通い続けて、取り戻せない時間を何年間も無為に過ごしてしまいました。


読者の方は、私と同じ轍(てつ)を踏まぬよう心からお祈り致します。要は、改善が見られなければまずは薬を変えてもらう、それを繰り返してもダメなら思い切って医者を変えてみることです。あとで触れるように薬が全てという訳ではありませんが……。




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2014/09/06


さすがにこれだけ休職を繰り返した後に、同じ職場に顔向け

できないと思っていた所に、かつての上司から救いの手が

差し出されたので、二つ返事でお言葉に甘えました。


戻った職場はみな気の知れた人たちばかりです。

しかし、彼らは元気な時の私しか知らないのです。



受け入れてくれた上司は、私の体調を気遣ってくれ、負担の

少ない仕事だけをくれました。それは私にとっては救いでした。


でも身体が重くひどく億劫なことには変わりなく、1時間机に

向かっているのが精一杯だったのです。


とにかく早く時間が過ぎて欲しい。

早く勤務時間が終わって欲しい。


それだけを考えて簡単な仕事をこなしていたのです。


本来ならそういう状態や心境などを医者と相談しながら、

処方を変えてもらうのが良かったのです。


そのためには、医者に何でも話せるだけの信頼関係が事前に

築かれていなければならなかったのだと思います。



しかしその前に、何より、


・病気について

・自分は今どんな状態なのか


をもっと知っておくべきだったと、振り返って痛感します。


でも、当時は自分の病名すら知らされていなかったので

致し方なかったのかも知れません。





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2014/09/04


3か月の休職(デイケア通い)を終え、一応会社に復帰は

しましたが、改善はほとんど感じられませんでした。

とにかく億劫(おっくう)でたまらないのです。


朝目覚めてから家を出、会社に行くことだけで精一杯でした。

通勤途中、


橋の上から身を投げてしまえばどんなに楽になるだろうか


と、何度も考えました。


結局復帰後2か月しかもたず、三たび休職することになって

しまいました。


後から考えれば、2度目の休職の時にしっかり入院すべき

だったのでしょうが、とにかく病識がないことに加え、

医者に対して平静を装っていたので、重症とは見抜けなかった

のかも知れません。


平静を保っていたのは、まだ医者を信じていなかったから

です。隙を見せれば、


裏社会へと追いやられる


と妄想により思い込んでいたのです。



今回は6か月の休職を言い渡されました。


その間、重い身体を引きずりクリニックに到着すると、デイ

ケアに参加する気力はすでになく、ただただ横になって

プログラムを傍観していました。無気力、無関心でした。


病状は良くならず、その状態を延々6か月も続ける事になり

ました。


結局期限を迎え、重い身体と億劫感のまま復帰するのです。





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2014/08/28


このころになっても、異変の原因が自身で仮説を立てた3つの原因

どれかは特定できていませんでした。場合によっては、3つすべてが

原因かも知れないとさえ考えていました。


当時はまだ妄想という自覚(病識)はまったくなく、(関係妄想や

注察妄想という)現実のなかでどう行動してゆくべきかに四苦八苦

していました。



実は現実の社会は、当然のように盗聴器や隠しカメラが仕掛けられて

いて常に誰かに監視されているので、どこかの共産主義国のように自由に

発言・行動できない仕組みになっているのでは?


そして誰もがそれを知っているけれどそれをさとられないように、隠語を

もちいたりボディランゲージで対話を成立させているのでは?


と考えるようになっていました。


「壁に耳あり障子に目あり」とはこういうことだったのか、などと変に

解釈したりしました。



あるとき課長に、「少し休みを取った方がいいのでは?」と気を遣って

頂きました。きっと言動が不自然だったのでしょう。


今は亡き父に連れて行かれたのは、副都心のクリニックでした。

そこは精神疾患とアルコール中毒、それに老人性痴呆症を扱っていました。

アルコール中毒患者の中に、反社会的勢力の一人と思しき患者も見られ

たためか、ここは裏社会と通じているなと思い込んでいました。



院長の診察を受け、統合失調症を疑う質問(盗聴器が仕掛けられていると

思うか、テレビで自分の事を言っていると思うかなど)をいくつか訊かれ

ましたが、監視社会を公言すれば治療という名のどんな制裁を受けるか

恐怖だったので、すべて否定しました。


また、薬も拒否し自力で直す考えを宣言しました。


診断の結果、翌日から3か月の休職を命じられました。



そしてその間、デイケアという社会復帰訓練に朝から夕方まで通うことに

なったのです。





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