一時期流行っていた「断捨離」。
今はどうなんだろう。
高齢者の人たちは亡き後に家族に迷惑かけたくないと、廃棄したり中古買取に売ったりしているね。
自分もいっとき、こんまりを読んだりミニマリストに憧れていた時があった。
溢れんばかりのモノに囲まれて生きるのは、目に入ってくる情報で雑念が集中を妨げたり、モノが占める面積の固定資産税を払うバカバカしさなど、つまり、時間もカネも空間も失っていると思ってた。
モノが多いと言っても、さすがに探し物に手間取るほどにはなっていないのは幸いしている。
それもミニマリストに踏ん切れなかった原因でもあるか。
加えて、家族がいるとミニマリストはハードルが高い。
さいきん考えているのは、モノつまり物質の持つ存在感というか、愛着というか、やはり自分の人生を豊かにしてくれていることだ。
わかりやすい例としては本がある。
電子書籍でも読書体験はできるけれど、物質としての書籍そのものが読者のあらゆる感覚を刺激してくれると思うのだ。
装丁の美しさや紙質の手触り以外にも、それを手に取った時の周囲の環境や時には匂いまで呼び起こさせる。
つまりは、物質として情報を印刷されているだけでなく個々人の記憶まで閉じ込めているような気がする。
でもこれらは、本に限ったことではない。
あらゆるモノに共通して言えることだ。
だから今はミニマリストになりたいという気持ちはほとんどない。
しかし。
しかしである。
ふだん使わないモノや、奥の方に沈殿している不要なモノなどは、言ってみれば人生のノイズでしかない。
人はそれをゴミという。
それらのノイズが多いほど居住空間を圧迫するし居心地が悪くなる。
先ほど、年内にはやり終えたいことをまとめたら、整理すべきものがいくつかあったが手順を考えただけで気が重くなってきた。
1番の難所は「納戸」である。
いわゆる「サービスルーム」を我が家では納戸と呼んでいる。
中には、大きめの本棚が2セットの他に、使っていないギターやクリスマスツリーほか、完成して額に入れた1000ピースを超えるジグソーパズルがいくつも。
それ以外に娘が幼少時代に作成した思い出の作品群や、雑多なものが多数。
かつては、ルームウォーカーが折り畳まれ場所をとっていたが、分解して廃棄したことも懐かしい。
本棚に納まっている書籍はほとんどが私のものなので、処分する本の仕分けやテーマごとに分類するのは私の仕事になるが、それだけでも気が遠くなる。
それでも以前に200冊くらいは処分したが、いつの間にかスペースが埋まってしまった。
ミニマリストは難しいとしても、愛着あるものだけの生活をキープしたい。
人体と同じで、入ったものと同量を出していかなければ、肥満になってしまう。
自分の判断で購入するモノは別としても、資料の類は黙っていても否応なく増えていく。そういうものだ。
社会との関係や経験が多いほど、資料も増えやすい。
でも資料類は、愛着のあるなしでは決められないのが難点。
結論めいたことは特にないけれど、生きているだけでモノは増え続ける。
よって、減量し続けなければ増大していくのは世の常だと心得たい。
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