商売や仕事の話ではありませんよ、もちろん。

たま~に取り上げる私自身のテーマでもあります。

「何でも屋」=何にでも興味を持ちやってみる、「器用貧乏」とも?

「職人」=何かひとつでも突き詰めてみる、誰にでも教えられる。

このどちらを目指そうかという話。

artisan

結果的には、前者の方に寄っているかな。どちらかといえば。

本当ならまずは一つのことを追求していく過程で、他にも興味が広がっていくのが良かったのですが、ご存知のように統合失調症によって会社生活は中断されたのです。

でも結果的にそれによって得られた時間はかけがえのないものです。


ゲームはやらない自分にとっては、小さいうちからゲーム浸りで若くして億単位の賞金を稼ぐ若者は突き抜けてるな、とは思いますが賞金と引き換えに貴重な時間や他の経験を犠牲にしているかもしれない。


ただし、職人でもなく何でも屋というより「何でも嫌」じゃあ人生もったいなさすぎる。

そうは言っても……と多くの読者は同じように精神疾患を抱えた人だと思うので生きてるだけで精一杯という感じでしょうか。


もう10年も病人だ、20年も闘病してる、いやいや30年にもなる、中にはいろいろあるでしょう。

でもそれって、30年間自分の病気のことを日々意識していた人でしょ? 辛ければ辛い人ほど。

誰にも負けないほどの人生経験を送ってる証拠。

闘病生活を山ほど語れるということでもある。


そっか、私自身も発症して30年くらいに気づけばなっていたんだ(笑)。

だからか、病気や薬の勉強(と言っても調べる程度)から始まって、他の精神疾患に興味が行き健康全般に興味がいった。

理解とともに体調が良くなってくると、会社がない分時間があるので生命や生き物、地球、宇宙のことを知るのも面白くなった。

また、人間というものや、政治や社会の動きなどは新聞やメディアから吸収。

当然、日本から世界へと目が行くようになる。


ひとくくりでまとめると、自然科学と人間社会かな? 


だから、文芸作品を味わう機会が欠けている。

読みたい小説や気になる作家のリストは増える一方(笑)。


みんなが時間をどう使っているのかがとても気になる。

病気を抱えて働いている人はリスペクトしかない。

もう今の自分にはとてもできないと思うから。


ん~ん、まとまらないけれど、要は病気と闘うみなさんはある意味「職人」なんです。

「何でも嫌」にはならないで。

せめて「何でも屋」に。